⚫︎おばあちゃんに会いたくなります。
もうすぐおばあちゃんの誕生日です。
この頃が来ると思い出す。私の大好きなおばあちゃん❤︎
私のおばあちゃんは99歳11カ月20日で亡くなった。
100歳までなんとあと僅か10日でした… 約10年前のことだ。
私の家は両親共働きだったので、同居していた母方の祖母が私達姉妹の面倒を見てくれていた。
よって、私は生粋の『おばあちゃん子』なのである。
明治生まれの苦労人で、明治→大正→昭和→平成の4つの時代を生きぬいた。
戦争や関東大震災などがあった近代日本の『大激動期』と言って良い。
私が小学生の頃、よく戦争の話しをしてくれた。
「子供を抱っことおんぶして、手には最低限の物を持って焼夷弾の中逃げたのよ」
「左右の分かれ道で右に逃げた人はダメだったけど、左に逃げたから助かった…」
現代を生きる私には到底想像もつかない時代を生きたのだ。
医者の家庭に生まれただけあり、お茶、着付け、お花の御免除(※)を持った多彩な人だった。
日曜日になるとよく歌舞伎を観に行ってたなぁ…
(※)御免除とは、師範などの教室に通い一定以上の技量を身に付けた人がもらえる民間資格のようなものらしい。
私はおばあちゃんに育てられたと言っても過言ではない。
保育園へのお迎え、テレビ鑑賞、お風呂、食事… いつもおばあちゃんと一緒だった。
おばあちゃんが好きなテレビを一緒に見ていたからか、私は時代劇や美空ひばりに詳しい。
仕事で休めない両親の代わりに、春休みや夏休みには温泉旅館へ連れてってくれた。
一泊2日のプチ旅行だ♨️
普段乗れない電車に乗って、旅館の豪華な料理を食べるのがとても楽しみだった。
今思えば、年金を一生懸命貯めてくれていたんだと思う… ありがとう!!!
私は小学生の時にスイミングスクールに通っていた。
たまにおばあちゃんが母と一緒に見学に来てくれた。
その日の帰りは決まって「今日は頑張ったから、美味しいもの食べて帰ろうか。」嬉しかったなぁ…
私が中学生になると早起きをして、部活に持っていくお弁当や水筒も用意してくれた。
ワガママなお弁当への注文にも頑張って応えてくれた。
おばあちゃんとの思い出のひとつで特に楽しかった事は『夕食作り』だ。
私はよく小さな頃から夕食作りの手伝いをした。
今のように冷凍食品、カット野菜や美味しいお惣菜がある時代ではなかったので、ほぼ全てが一から手作り。
材料の下ごしらえ、大量の餃子包み、フライの衣付け… そんな事をしながら、おばあちゃんと「たわいもない話し」をするのが大好きだった。
お正月のおせち料理には、手作りの黒豆や栗きんとん。
とってもお出汁が美味しい、お雑煮。大好きだった。
今私が料理が出来るのは、このお手伝いの経験があるからだと思う。
私が成長するに連れて段々と一緒に過ごす時間も少なくなってしまった。
実家を離れて暮らしていた時も家へ顔を出すと、いつも私の事を心配してくれた。
「ちゃんとご飯は食べてるの?」
「何か困ったことはないかい?あるならおばあちゃんに言ってごらん」
歳を取り自分の体の方が辛かったろうに……
そんな大好きなおばあちゃんについに認知症が始まってしまった。ショックだった…
いまや高齢者の6人に1人が発症していると言われている。
初めの頃はデイケアサービスなどを利用して母が自宅で介護していたが、それも難しくり、ついに特養老人ホームに入所することになった。
ホームでも「おばあちゃんらしさ」は健在で、「私のことは後ででいいから、先に他の方のところに行ってあげて」と介護士さんにも優しかったようだ。
「○○さんはいつも私たちの事を心配してくれるのよ」とよく介護士さんに言われた。
私が面会に行くと“とびきりの笑顔”で迎えてくれた❤︎
帰る時は車椅子でエレベーターの乗り口まで見送ってくれた。
そんなおばあちゃんが逝ってしまった…。老衰だった。
私が面会に行った次の日のことだ。
終末期にみられる食欲低下と下顎呼吸(かがくこきゅう)が始まってから約一週間後のことだった。
亡くなるまで大きな病気もせず元気だったのが幸いだ。
生きていれば今年で109歳!
大好きなおばあちゃん、お誕生日おめでとう????
たくさんの『感謝』を贈りたいと思います。
そして…… とてもとても会いたいです!
![]() |
価格:3,450円 |
ランキングに参加してます。
このブログを推していただける方は
ポチっとお願いします!!!
↓ ↓ ↓